外国語としての日本語 2
この頃は、日本語をとても上手に話される外国人の方も少なくありません。流暢だなあと驚かされることもあります。その一方で、ほとんど文法ミスがなく、内容にも申し分がないのに、なぜか聞いていて気が抜けないということもあります(あくまで聞き手の印象です)。その理由を考えていて、日本語でもよく似た聞き方をしている時があることに気付きました。
ラジオで初めて聞く日本語の歌の歌詞を聞き取ろうとするとき、日本語なのに「気を抜けない」聞き方をしています。テレビのように字幕(歌詞)が出ないので、耳だけが頼りなのですが、歌にはメロディーがあるため、日本語本来の高低アクセントが崩れていて聞き取りにくいことがあるのです。(何度聞いても分からない歌もあります・・・。)
特に流暢だと感じるとき、もちろん言葉の使い方も大切ですが、高低アクセントが中心の、耳慣れた「日本語のメロディー」で話されている時であるように思います。このメロディーは知っている、という感覚に似ているのかもしれません。
鳥のさえずりにも多様なメロディーがありますが、人間が言葉を聞く時、話す時、習得する時、どれくらいメロディーを意識しているのか、とても興味があります。